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春秋戦国時代について

[0]siyajkak 06/08/05 23:03 CqMoor.s3/
中国の春秋戦国時代について雑談しましょう。好きな名将、名君をあげてくださってもいいし、小説の話題を書いていただいてもいいです。
わたしは、アンチ秦で趙びいきなので宮城谷昌光さんの『孟夏の太陽』や塚本青史さんの『裂果』などを時々読み返します。
『裂果』に描かれた晋の智、趙、魏、韓4氏の虚虚実実のかけひき、とくに趙氏と智氏の駆け引きはスリリングです。
[1]皇帝 06/08/05 23:28 jVAmxDd6id
中国史に置いて三国時代は有名ですが、
この時代もわりと面白い時代ですよね。
三国時代と比較して思うのは、
思想家が雨後の筍の如く相次いで出現する所です。

NHKも大河で日本史ばかりやらず
中国史とかもやってくれればいいと思うんですけど。

>好きな名将
私はやっぱり孫子ですかね。
私は孫子を一読した時、紀元前に凄い人も居るものだと
物凄く感心して、それ以来、中国史が好きになったんですね。

春秋時代の呉越の攻防は、面白くて好きです。
伍子胥のエピソードも面白いから好きですね。
と言うよりこの時代には面白いエピソードを持つ人が多いですよね。
例えば始皇帝を暗殺しようとしたケイカ。
ガクキが連合をして斉を追い詰め、
田単が瀕死の斉を掬う所も、三国志に負けない面白い戦いだと思います。
[2]siyajkak 06/08/05 23:41 CqMoor.s3/
皇帝さん!
早速のカキコありがとうございます。
わたしは、小学6年でさえら書房の子ども向けの『史記』を読んで以来、だんぜん春秋戦国です。

孫子(孫武)は、春秋最強の楚を破った兵法家ですよね。呉王コウリョは寵姫を斬り殺されてかわいそうだなと思いましたが(苦笑)

田斉に仕えた孫ビンが桂陵の戦いや馬陵の戦いでホウケンを破る計略も痛快です。
[3]皇帝 06/08/06 01:19 jVAmxDd6id
確かに孫ピンとホウケンのエピソードも面白いですね。
私も好きです。

私は兵書が好きだったから、特に兵書に関心を抱いたから、
孫子以外にも尉繚子、呉子を図書館で借りて読んだ事があります。
兵書以外には戦国策が面白そうなので読んだ事があります。

欧米に置いては孫子の方が圧倒的に有名で、
呉起は影に潜めてしまうような存在ですが、私は呉起も好きですね。
[4]ハーン 06/08/06 21:06 uQgezz.j0o
 私は管仲が好きですね。ホウシュクとの友情話がお気に入りです。だらしのない彼を支えるホウシュクが健気で好きです(私にそっちの趣味はないので、邪推しないように)。
 残念なことは彼が後継者に推した連中がみんな早死にしたことですかね。前に読んだ本では桓公が最初は管仲の推した人を使っていたと書いてあったので。
[5]siyajkak 06/08/07 05:26 mah4tLiLqm
>>4

鮑叔牙も私心のない本当に謙遜な好人物ですよね。『史記』管晏列伝には、「天下不多管仲之賢而多鮑叔能知人也」つまり「天下の人々は、管仲が有能であることを賞賛するよりは鮑叔がよく人物を理解していたことを賞賛する者が多かった。」とあります。

>前に読んだ本では桓公が最初は管仲の推した人を使っていたと書いてあったので。

『史記』には、斉太公世家にも管晏列伝にも見当たらないですが...
ただ恐ろしい記述を見つけてしまいました。 「雍巫(=易牙)有寵於衛共姫,因 宦者豎チョウ以厚献於桓公、亦有寵、桓公許之立無詭」
つまり桓公が無詭を太子にすることを許したという記述です。後継者争いの種を自らまいてしまっています。
[6]やっち 06/08/07 12:12 WXzabB4zSZ
 管仲が推した人とは

隰朋

でしょうか。
 確かに彼も相当の名臣ですね。管仲の後を追うように死んだのが惜しまれる。
[7]やっち 06/08/07 12:17 WXzabB4zSZ
 文字化けしないでよかった・・・

 私は、既に挙がったもの以外では、「完璧」や「刎頸の交わり」のエピソードが好きです。
 早い話が藺相如が好きなんですが。
 成功者に嫉妬はつきもの、それに起因する内部分裂を引き起こすことの多い中、分裂を抑えてむしろ団結に持って行った彼の手腕は史上でも希なものでしょう。彼の執った施策は、彼が単に頭がいいだけでなく人間性に配慮できる政治家であることを示しているように思います。
 「秦王と廉頗とではどちらが怖いか・・・」から始まる一節の何と感動的なこと。
[8]siyajkak 06/08/07 15:34 Tj2hufYdaB
やっちさん、ご教示ありがとうございます。管仲が隰朋を推した場面というのはどこに出てくるのでしょうか?斉斉太公世家では、桓公四十一年にともに死んだ、となっているし、管晏列伝にも、『左伝』の記事にもみあたらなかったのですが...『管子』か『国語』?

[9]siyajkak 06/08/07 15:43 Tj2hufYdaB
話は変わって趙ファンのわたしも、「完璧」や「刎頸の交わり」の話は好きです。藺相如が秦の昭王に盆プを打たせ、趙の史官に記録させたり、城十五城に対し、趙王の長寿をいわうために都の咸陽を献げよときり返す場面は快感です。秦の昭王が白起を用いて楚を攻撃しているさなかであって秦の天下統一の基盤を築いた大器ともいえる王であるがゆえにこの外交交渉の成功は特記に値するなあとおもいます。この1〜2年前後に楚の都郢が陥落させられています。
[10]ヤンガス 06/08/07 17:26 gcIWe7Pm/W
鮑叔牙と管仲については、あまり悪いうわさを聞きませぬが・・・・

百里奚の就職を妨害したという説がありますな。
事実かどうかは分かりませぬが、参考までに書きますと

百里奚が若かった頃、斉の桓公の盛名を慕って仕官しようとした。
面接した管仲は、百里奚の異才を見抜き、ライバルとして手強い相手となることを恐れて不採用の決定をした。
百里奚は次に鮑叔に会いに行き、仕官の依頼をしたが、それを見越した管仲から「百里奚という者を採用するな」という知らせが届いており、ここも不首尾となった。

その後、百里奚は仕官先を求めて諸国をさまよい、ついに流浪のうちに疲弊し、虞という小国に仕官した。この時、60歳を過ぎていたと考えられる。
その後虞は晋の献公に亡ぼされ、捕虜となった百里奚は秦への贈りものにされた。
この時、秦の高官の中に百里奚の才幹を見抜いた者がおり、君主(穆公)に推挙した。この時、75歳以上だったはず。
その後も紆余曲折があったが(長くなるので中略)、百里奚は秦の国政を任されるまでになった。

それまでは、西の辺境の蛮族に過ぎなかった(言い過ぎか?)秦が強国に成れたのは、百里奚のお蔭と言っても良い。
彼がいなければ、後に始皇帝が出現することも無かったかもしれない。

管仲の私欲が、後の斉の滅亡、秦の台頭を招いたと言えなくはない。
(ちょと強引過ぎるかも) にゃはは
[11]siyajkak 06/08/07 20:42 Tj2hufYdZ0
伴野朗氏の『邯鄲盛衰』は廉頗と藺相如を主人公としていますが『呉三国志』と同様歴史書にほとんど現れない諜報戦争を想像して小説化しているところが面白いです。作中で秦のスパイが出し抜かれています。

白起の活躍に隠れていますが信陵君というのも間違いなく戦国時代五本、もしかしたら三本の指にはいる名将です。諜報戦の重要さを熟知している証拠に魏公子列伝の最初に魏王が趙王が攻め込んでくるという誤報に惑わされているときでも趙王が狩りにでているだけという情報を知っていたことが記されています。また信陵君だけが王の寵姫如姫の敵を見つけることができたという情報網、そして五カ国連合軍を統率して秦を函谷関まで追い払ったというのは当時の秦の強大さから考えても破格です。
[12]ヤンガス 06/08/08 07:27 gcIWe7PmXh
廉頗、藺相如、趙の武霊王などについては、宮城谷昌光氏の『奇貨おくべし』『楽毅』などでも活写されていて面白いですな。
歴史資料では埋めきれない疑問などへの解答を提示するのは、歴史小説家の任務でしょうね。
[13]やっち 06/08/08 11:37 /1WgcQJgGc
>>8

 今手元にないので記憶だけで書きますが、確か韓非子にあったと思います。
[14]siyajkak 06/08/08 19:47 CqMoor.srZ
やっちさん、ありがとうございます。『韓非子』の十過第十にありました。

管仲曰「隰朋可。其為人也、堅中而廉外、少欲而多信。夫堅中則足以為表、廉外則可以大任、少欲則能臨其衆、多信則能親鄰國、此霸者之佐也、君其用之。」君曰「 諾 。」居一年餘、管仲死、君遂不用隰朋而與豎チョウ。
(管仲は言った。「隰朋がよいでしょう。彼の人柄は、内面が堅実で、外側に廉直です。また物欲が少なく、信義に厚いからです。内面が堅実ならば、上に立って指導することができます。廉直であれば重い任務に堪えることができます。欲が少なければ多くの人に何でも命令することができ、信義に厚ければ、隣国の諸侯との外交に適しています。まさに彼こそ覇者の補佐にふさわしい人物です。是非彼を用いますよう。」桓公は「よろしい。そのようにしよう。」と言った。それから一年ほどで管仲は亡くなった。桓公は隰朋を登用せず、豎チョウを登用した。)

桓公はいったん隰朋を用いることを承知したものの、結局登用せず、豎チョウを登用し、管仲の死後、反乱が起こって衛兵の詰め所のようなところで食べ物にも事欠いて無くなったということです。これを読んだら武霊王の話を思い出してしまいました。
[15]siyajkak 06/08/08 20:10 CqMoor.srZ
それから管仲が鮑叔牙の悪口を言っているのに驚いてしまいました。

君曰「鮑叔牙何如?」管仲曰「不可。鮑叔牙為人、剛愎而上悍。剛則犯民以暴、愎則不得民心、悍則下不為用、其心不懼。非霸者之佐也。」
(桓公は言った。「鮑叔牙はどうか?」管仲は言った。「だめでしょう。鮑叔牙の人柄は、剛直で、意地をはるところがあります。また高ぶる気持ちを抑えられません。剛直であれば、強引に民を扱うことになり、意地を張るようであれば、民心を得ることはできません。高ぶる気持ちを抑えられないなら、部下になる人や民は動いてくれず、しかもそういう状況であっても心配しようとしないので、覇者の補佐にふさわしくありません。」)
[16]siyajkak 06/08/08 20:27 CqMoor.srZ
>>12

宮城谷さんの描く武霊王は『孟嘗君』でも『楽毅』でも悪役っぽくなってるのがいやですね。『戦国策』でしたっけ?わたしにとっては、名臣肥義に相談して胡服騎射を決断した永遠な、そして悲劇なヒーロー像ですから(爆)
[17]siyajkak 06/08/08 23:04 Tj2hulglM9
前レスに誤解があるかもしれないので『楽毅』を読み返し始めました(苦笑)。
[18]abc 06/08/08 23:18 PB2uojTg
春秋戦国時代なんて漢民族の歴史じゃないけどさ。
また、孔子や老子などは漢民族なのか?
[19]siyajkak 06/08/08 23:57 Tj2hulglM9
>春秋戦国時代なんて漢民族の歴史じゃないけどさ。

漢民族の統一王朝は「漢・宋・明」だけ
の[20]の一部ですが

魯の国の年代記『春秋』に注釈をつけた春秋三伝を考えてみるのがよいとおもわれます。というのは、戦国時代(通常403B.C.〜221B.C.)に原形が形作られ、前漢(202B.C.〜A.D.8)で完成したので、秦の統一時代の人々の中国の範囲の認識を表現していると思われるからです。『公羊伝』は、山東省の斉、魯の国があったあたりを「中国」と呼び、山西省の晋の国のあたりは、中国であったが、夷狄の俗にそまったとされ、晋のまわりの国々は「諸夏」として、「中国」である魯と夷狄の間に位置づけます。そして、湖北、湖南省にある楚、陝西省の秦、江蘇省(蘇州、上海周辺)の呉を「夷狄」とします。
また『穀梁伝』は、姫姓(周王室と同姓)の白狄の鮮虞を「中国」とし、楚、呉、秦、晋を「夷狄」とし、斉を「夷狄」の俗になじんでいる、と考えます。
また、三伝のなかで一番知られている『左氏伝』は、中原一帯(当時としてはおおむね黄河中流域)を文化花咲く地として「夏」とよび、これが「中華」の起源になります。しかし、「中華」の語は、直接は前漢の時代まではみられないため、当時の中国のアイデンティティとしては、秦は含まれないことになります。

このように漢民族の意識の萌芽はありました。

あなたの論法だと


ウィキペディア日本語版で示した「日本」の初出
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC

日本の最初の用例は、645年7月に高句麗や百済の使者に示した詔の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」という語である(『日本書紀』大化元年七月の条)。なお、日本という国名が最初に定められたのは、701年施行の大宝律令とされる。734年には井真成の墓誌として中国大陸でも使用されている。

の時期までは、倭人しかいないので、日本民族、日本人はいないことになります。そうなると
>NHKで使った資料により、チベット・シベリア・日本を含む東アジア全域が日本領だったと証明された。
>日本の任那半島(みまな)を侵略した朝鮮人。
とかいう考えも同時に崩壊するのですがよろしいのですか?
それからこの種の議論はななたの
日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[0-99]
でする議論ですのでスレが違います。
[20]siyajkak 06/08/08 23:58 Tj2hulglM9
>>20の訂正
>この種の議論はななたの→この種の議論はあなたの

失礼しましたm(_ _)m
[21]abc 06/08/09 00:14 PB2uojTg
>>19の前半の中国に関するコピペはおもしろいが
後半の日本に対するコジつけは無駄だったね。
[22]abc 06/08/09 00:17 PB2uojTg
>>19
つまり漢民族らしいのは魯国だけだな。
[23]siyajkak 06/08/09 00:20 Tj2hulglM9
>>21

どこがこじつけなのでしょうか?説明してください。

>NHKで使った資料により、チベット・シベリア・日本を含む東アジア全域が日本領だったと証明された。
>日本の任那半島(みまな)を侵略した朝鮮人。
の根拠もです。あなたは自分のスレでまったく反論できなかったんですよ。
[24]abc 06/08/09 00:25 PB2uojTg
>>23
新モンゴロイドの中国人や朝鮮人が
古モンゴロイドの歴史を語りたがらないコトで充分に証明されているね。
[25]siyajkak 06/08/09 00:28 Tj2hulglM9
>>22
それから漢民族らしいのは魯国だけではありません。魯は周公旦の子孫であり、西周の支配したのは陝西省から黄河中流域をへて斉が封建された山東省までです。それからあなたが以前おっしゃっていた定義とも矛盾します。

また西周は西戎だとはじまったら話がぐるぐるまわってしまいます。あなたの漢民族の定義、および民族の定義とは何ですか?
日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[e100]
のレスでもう一度皆さんに説明してください。
[26]abc 06/08/09 00:30 PB2uojTg
ところで孔子や老子などは漢民族なのですか?
漢王朝以降、中国から春秋時代を超えるような有名な思想家は出てないと思いますが?
漢民族が支那大陸を占領支配し始めてから人間的レベルが低下したような気がしますが?
[27]siyajkak 06/08/09 00:41 Tj2hulglM9
>>23
日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[e100]
でty270410さんが[98]-[103]
でおっしゃってるとおりです。
あなたが読んでいないだけです。

それから日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[e100]

で皆さんから質問を受けた
[59],[64],[87],[88],[90]の答えと
[97]-[104]の反論はまだですか?
それから「高句麗(扶余人)=百済(扶余人)=日本人・・・です。」
の証明はまだですか?

日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[e100]
で答えてください。

このスレはすれ違いなのであまり書き込みを繰り返すようならルール違反になりますよ。


[28]siyajkak 06/08/09 00:45 Tj2hulglM9
>>26

あなたの漢民族の定義、および民族の定義とは何ですか?
答えてください。

それから
ウィキペディア日本語版で示した「日本」の初出
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC

日本の最初の用例は、645年7月に高句麗や百済の使者に示した詔の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」という語である(『日本書紀』大化元年七月の条)。なお、日本という国名が最初に定められたのは、701年施行の大宝律令とされる。734年には井真成の墓誌として中国大陸でも使用されている。

の時期までは、倭人しかいないので、日本民族、日本人はいないことになります。そうなると
>NHKで使った資料により、チベット・シベリア・日本を含む東アジア全域が日本領だったと証明された。
>日本の任那半島(みまな)を侵略した朝鮮人。
とかいう考えも同時に崩壊するのですがよろしいのですか?

[29]siyajkak 06/08/09 00:56 Tj2hulglM9
>漢民族が支那大陸を占領支配し始めてから人間的レベルが低下したような気がしますが?

わたしも中国の歴史や文化、中国人個人は尊敬できても、いまの中国の政権は好きではないのでその部分は意見は一致すると思います。
[30]siyajkak 06/08/09 05:59 R2Q3pamZhr
>>27を一部訂正

>>23>>24

[27]siyajkak 06/08/09 00:41 Tj2hulglM9
>>24
日本の任那半島(朝鮮)を侵略した朝鮮人[e100]
でty270410さんが[98]-[103]
でおっしゃってるとおりです。
あなたが読んでいないだけです。
[31]やっち 06/08/09 11:57 /1WgcQJgGc
ここにもabcが現れたのね。

siyajkakさん、スルーでいきましょうよ。
構うと余計調子に乗りますから。
[32]siyajkak 06/08/09 17:38 mah4tLiL7y
>>31
やっちさん

あらためて
>>14出典わかりましたので...

『韓非子』は春秋戦国のいろんな逸話が載ってますね。高校時代や学生時代は理屈っぽいところばっかり読んでいたのかもしれません。
[33]やっち 06/08/10 12:25 FATzo3Gqov
>>32siyajkakさん

 ありがとうございます。
 普段オフィスから書き込んでいるもので、手元に参考文献がないことが多いので、なかなか正確な出典を提示できません。
 お手数おかけしました。

 韓非子は本当に逸話の宝庫です。
 「説林」なんて逸話しか載ってないですから。
 ただ、韓非が自説を導くため、若干ニュアンスを変えてるなぁと思う箇所もままありますが。
[34]siyajkak 06/08/13 21:16 Nxb1631O.Y
スレを長命にするにはしりとりでもしたほうがよいのでしょうか?

たとえば、人名、地名、出来事いずれでも可。10以内の重複不可、もし挙げられない場合は、一つ前のレスから続けてください、というようにするとか?
[35]チョキチョキ 06/08/14 22:39 D-uUmi/
>>16
『楽毅』での武霊王の役回りいいじゃないすか(笑)
俺は好きですな

悪役は主役以上に魅力的じゃないと務まらないというし

思想面の発達は目を見張るものがありますな
それだけでもこの時代は価値高い時代ですな
[36]杞憂士 06/08/14 23:07 O1bVcLaloO
>>16
俺は悪役っていうよりも楽毅のライバルって印象受けましたね。
この時代は魅力的な人物がいっぱいいます。挙げたらきりが無いほどです。
その中でもかなり残忍だけど白起が個人的に好きです。
項羽と若干似てるけど最期に自分の罪を認めたところがかなりツボでしたw
[37]siyajkak 06/08/14 23:07 1HcmSKXJXm
>>35チョキチョキさん
レスありがとうございます!

『孟嘗君』では、孟嘗君をほめすぎで、武霊王が貶められている感じであんまりすきではありませんでしたが、『楽毅』を読み返すと、中山を攻める敵役ですが『孟嘗君』ほどひどくはないかなと思いました。
[38]チョキチョキ 06/08/15 03:00 D-uUmi/
宮城谷さんの作品はなかなか好きですが
作品中では主人公を正義にしちゃうとこがありますよね(´ー')
まぁ狡猾とか残忍とか言われる人物をそのように仕立て上げちゃうその話が魅力的なとこでもあるなぁ、なんて考えます
[39]チョキチョキ 06/08/15 03:36 D-uUmi/
ちなみにこの時代の世界に入るきっかけとなったのが中@のとき手にした宮城谷さんの『楽毅』でした(´ω'))多感な時期でしたな(苦笑

史実+春秋戦国に限れば、好きな人は楚の荘王
思想家は荘子ですな

小説読んじゃうと楽毅や崔チョ、呂不イ、穣侯‥きりがありませんな

>>36
白起もイイデス(・ω・!)
連投失礼いたしました
[40]siyajkak 06/08/15 17:30 1HcmSKXJiX
>>39チョキチョキさん
>楚の荘王

わたしも五覇のなかで最も好きかもしれません。三年鳴かず飛ばずでいったん決心したら有能な臣下を登用したり、自分よりよい意見を出す臣下がいないことを悲しんだり、解揚を許したり器の大きさを感じさせて気持ちがいいです。

>白起もイイデス(・ω・!)
>連投失礼いたしました

い〜え!連投大歓迎です!(^^)
白起は、塚本青史さんですよね。炎の表紙が印象的な河出書房新社ハードカバー版を一挙によんでしまいました。とにかく春秋戦国ものはとまらないで読んでしまいます。だから買っておかないで読むとしばらくして内容が抜けてたりするのですが(^^;)

[41]siyajkak 06/08/15 17:39 1HcmSKXJiX
>>36杞憂士

>この時代は魅力的な人物がいっぱいいます。挙げたらきりが無いほどです。

わたしも本当にそう思います。名君、名臣、思想家ありと思えば暴君や暗君、変り種の人物や忠実な人物、挙げたらきりがありません。そういう人物を生き生きと描く『史記』が文学的な価値が高いというのは、司馬遷の筆力もさることながら題材になる人物やその生き方にいろんな意味で魅力があったり、また反面教師的に教えられるからだと思います。
[42]siyajkak 06/08/15 17:41 1HcmSKXJiX
杞憂士さん、前レス敬称がぬけてしまいすみませんm(_ _)m
[43]チョキチョキ 06/08/15 18:14 D-uUmi/
どーしても三国志や楚漢の争いの方が人気高いですけどね
あれは事象全体が物語性高いからかな('・?)目的が明確だし
1〜2、3世代で大体ケリがつきますからね(´ω')

ただ春秋戦国はゆっくり統一の色をみせていく巨大な流れの中でどこもかしこも小さな物語を奏でて目が離せない魅力がありますと思います
[44]杞憂士 06/08/15 19:00 O1bVcgd3R.
>>42
いえいえ、全然気にしてませんよw

>>43
確かに三国志とかと比べると人気ないですね
ただ、最近は孫子とかがビジネスとかで活かされてるそうです
もしかしたら、そういうとこから春秋戦国時代に興味をもつ人でるかもしれないですね

[45]siyajkak 06/08/15 20:05 1HcmSKXJiX
春秋戦国はなんといっても故事成語のもととなる出来事が多い時代だとおもいます。「完璧」やなんか田中元首相と大平元首相をたとえた(?)「刎頚の交わり」とか。あと伝統を「墨守」するとかって、墨子の守りが堅固なことに由来しているし、本来の意味から外れていますが「隗より始めよ」とか。杞憂士さんの挙げられた『孫子』も世界的な影響力をもつ本ですし、武田信玄も「風林火山」を好んで旗にしていた。
[46]siyajkak 06/08/15 20:08 1HcmSKXJiX
「刎頚の交わり」を現在の政治家や経済人に悪い意味で使われることが多いので、廉頗と藺相如が汚されるようでちょっと不愉快になります。
[47]チョキチョキ 06/08/15 20:27 D-uUmi/
>>44
>>45

同感ですな
諸子百家は後の中国の莫大な財産になるどころか日本やヨーロッパにも少なからず影響有与えてますからね

あれだけの文化の開花を見るのはおそらく後は宋の時代まで待たなければならないでしょうな
[48]siyajkak 06/08/15 20:52 1HcmSKXJiX
>>47チョキチョキさん

>文化の開花、宋代→唐宋八大家

思想史のことですね。六朝なんかは、文学(四六駢儷体、詩〜謝礼運、陶淵明etc.)、絵画、書などに見るべきものが多いのでちょっと考えてしまいました。
[49]siyajkak 06/08/15 20:56 1HcmSKXJiX
すいません(誤)謝礼運→(正)謝霊運
[50]チョキチョキ 06/08/15 21:16 D-uUmi/
あ、すんません(笑)あんまり検証しないでものを言うもので
検証ありがとうございます(´ω'))

春秋戦国は最終的に秦が栄冠を手にする訳ですが

あれを防げたとしたらどこがポイントだったでしょうね
などと下らない話題投下してみたりする自分
[51]杞憂士 06/08/15 22:12 O1bVclmqKe
楚が呉起をそのまま重用していれば・・・・・
魏の恵王が商鞅を登用すれば・・・・・
楽毅を燕の恵王が亡命においやらなければ・・・
自分がパッと思いつくのはこれくらいです


[52]チョキチョキ 06/08/15 22:44 D-uUmi/
諸説ありますが
楽毅をそのまま用いていれば斉は落ちたと見ていいでしょうかね
[53]siyajkak 06/08/16 00:06 Nxb16Q/hdO
>>51

あやや、杞憂士さんに先に書かれてしまった(^^;)
中学の頃そんなことばかり考えて小説もどき書いていました(苦笑)。
あと趙の武霊王が廉頗と趙奢を率いて北側から騎兵軍団を率いて咸陽になだれこむ...

趙と楚が合従して、李牧と項燕が秦軍を撃退する...

でもそれを考えるたびに秦の強さを実感するので、わたしは始皇帝の統一を必要以上に賞賛するのに疑問を感じます。むしろ白起が長平で趙を破り趙兵たちを生き埋めにしたり、伴野朗氏が『邯鄲盛衰』で指摘するように楚を長江中流域から追い払って無力化したことは大きいと思います。

>>52
斉は立ち上がれなかったでしょうね。田単はどうしたのだろうか...
キョと即墨がなぜ頑強に抵抗できたのか知りたいですね。
[54]チョキチョキ 06/08/16 00:07 D-uUmi/
>>53

みっつとも
今となっては大きな分岐点でしたな
[55]siyajkak 06/08/16 00:11 Nxb16Q/hdO
つまり昭王時代の秦は、実力はあったのですが六国は首の皮いちまいですがしっかりしていたのです。それに信陵君という傑物が魏にいましたし。始皇帝時代の六国は暗君ぞろいで合従しようということすら思い至らずに各個撃破されるがままに見えます。

[56]チョキチョキ 06/08/16 11:26 D-uUmi/
siyajkakさん同感ですな

とはいえ秦が諸国を食べていく辺りの時代は自分はよく知らないのですがね

優秀な部下を替えてしまうことが国の弱体化を進めてしまうパターンは非常に多いですな

戦国時代の王様に求められてたのは冷静さだったのでしょうな
[57]siyajkak 06/08/18 18:00 1HcmSKXJbm
>>56チョキチョキさん
秦が拡大していく様子を描いた地図を載せた本は、ないことはないのですがさがすようですよね。自分で作るのも楽しいかもしれませんが面倒くささのほうがさきにたってしまいます。
[58]やっち 06/08/22 01:31 TJaGhvmDkS
>>50

 遅レスですが。

晋が分裂しなければ。

智伯が趙を滅ぼして(返す刀で魏、韓も滅ぼして)晋をそのまま承継できていれば。

 はいかがでしょうか。
[59]やっち 06/08/22 01:36 TJaGhvmDkS
>>45

 更に遅レスですが、田中角栄元首相と「刎頸の友」だったのは小佐野賢治氏ですね。
[60]やっち 06/08/22 01:40 TJaGhvmDkS
 この時代、女性もまた魅力的ですね。
 西施、夏姫や趙姫(始皇帝の母)もいいですが、私が個人的に好きなのは、信陵君に虎符を与えた魏王の寵姫です。女性も熱い時代だ!
[61]siyajkak 06/08/22 06:50 BoOIc7bICG
>>59

やっちさん

ご指摘ありがとうございます。何かを勘違いしていたんでしょうか?恥ずかしい限りです。清水一行氏が小佐野賢治氏を描いた『花の嵐』(上)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4041463874/sr=1-12/qid=1156196298/ref=sr_1_12/250-4451500-7386621?ie=UTF8&s=books

『花の嵐』(下)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022561645/250-4451500-7386621?v=glance&n=465392

は結構おもしろかったです。

>>60
斉の襄王の妃、君王后もなかなかの女性ですよね。あと過去の読書の記憶をたどると、趙の武霊王の妃で恵文王の母親である呉姚もセクシーな女性だった印象が残っています。
[62]siyajkak 06/08/22 07:08 BoOIc7bICG
ただ、『花の嵐』は小佐野氏をかなり美化しているので、大下英治氏の『政商〜昭和闇の支配者』も読み比べようかなと思います。
ただ、田中元首相を悪者に仕立て上げるためにプロパガンダがあったと私は思っていますので、そのプロパガンダの洗脳から逃れるためには、小室直樹『田中角栄の遺言』クレスト社http://www.amazon.co.jp/gp/product/4877120157/sr=1-1/qid=1156198081/ref=sr_1_1/250-4451500-7386621?ie=UTF8&s=booksとともに『花の嵐』はおすすめかなと思います。脱線してすみません。
[63]siyajkak 06/08/22 07:14 BoOIc7bICG
>>58
なるほどそういう考え方もできるのですね。

しかし智伯のあの傲慢な性格では、武霊王が現れないので中山が生き残って、晋を受け継いだ智は、田斉と秦に挟み撃ちにされてさっさと滅ぼされてしまったのではという気がします。
[64]siyajkak 06/08/22 07:18 BoOIc7bICG
智果の子孫が智ヨウにまかせているとだめだと思って晋の武公が主家を倒したように倒したりして。いずれにしても憶測になってしまいますね。いかがでしょうか?
[65]チョキチョキ 06/09/07 13:36 D-uUmi/

(´ω`))アゲ
[66]siyajkak 06/09/07 17:42 SVGvpK45qc
>>65
(^^) m(_ _)m
[67]siyajkak 06/09/07 18:23 SVGvpK45qc
わたしが宮城谷さんの作品で今まであげた以外に好きな作品は、『沈黙の王』所収の「妖異記」と「豊饒の門」です。春秋時代の開始される様子をドラマチックに描いていることと有能な周の臣下である鄭の桓公友が褒[女以]にひそかに想っていたとか、必死に西戎や申侯の軍から逃げようとする場面になぜか不思議な臨場感を感じてしまうのです。鄭の荘公が切れ者と思われた臣下の関其思になぜ不快感をいだいていたのかという細かい描写まで描かれていてgoodなのです。
[68]チョキチョキ 06/09/07 21:29 D-uUmi/

(´ω`))実は短編集をあまり見てないチョキチョキ

受験生だからこの先もしばらく本から遠ざかるでしょう(´ω`))

(´ω`)ノハーイッ
宮城谷さん以外にお勧めな人教えてくださいっ
[69](゜o゜) 06/09/12 15:16 *kbZgmhHww8P*A4PUhMi969
>>68宮城谷さん以外にお勧めな人教えてくださいっ        芥川竜之介の「戯作三昧」ではなく、「英雄の器」を私は勧めます。春秋時代の話ではありません((^_^.))私は此のレス以外にレスはせずに立ち去ります・・・
[70]チョキチョキ 06/09/14 18:14 D-uUmi/

(´ω`)ありがとぅ!
ぃかなぃでぇ(´ω`。)ホロリ
[71](゜o゜) 06/09/16 15:48 *abWr2hQ6b5h*A4PUhMi969
>>70すんません(-_-)しかしまあ勉強します.
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/35_15166.htmlをクリックしてください…
[72]歴史好きなおっさん 06/09/26 05:48 x9qdQwyEE1
siyajkakさん、なかなか面白い板ですね
自分は春秋戦国には全く明るくないので足跡だけでご勘弁ください
「春秋」と言うネーミングの絶妙さには感心します。元はたしか孔子の書籍だったと思いますが、時代区分としても使用されている事は孔子のセンスの良さなのでしょうね
[73]siyajkak 06/09/26 19:05 EJADN94nr.
>>72歴史好きなおっさんさん

足跡ありがとうございます。m(_ _)m
『春秋』は、魯の隠公から哀公まで、西暦紀元前722年から同468年までの年代記に孔子が加筆したものとされ、五経(詩経、書経、易経、春秋、礼記)のひとつに数えられます。
やっぱり歴史書としての面白さ、資料の多さから左氏伝、文学的な面白さや価値、当時の人々の心情がわかる歌謡集として詩経がもっとも手に入りやすいし、親しみやすいですね。

自分はいつも机の脇にはおきにいりの貝塚茂樹先生編の筑摩書房世界古典文学全集の『春秋左氏伝』をおいています。本文A5判の一巻本で付録の系図や地図、年表が驚異的なくらい充実していて、とくに系図は登場人物名の別名まで記載され、地図は、歴史的事件が起った場所は索引つきでたいてい検索でき、もちはこびも便利というすぐれものです。ただ便利さと詳しさを追求したためにやや字が小さいという難点があるのかもしれませんがちょっと調べたい時には非常に重宝しています。
一番いいのは明治書院版の新釈漢文大系が本文、注、書き下し文、現代語訳がのっていて一番いいのかもしれませんが、たいていは現代語訳で事足りるのでこれで十分だと思っています。
今残念ながら絶版なので復刊運動しています。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=19333
[74]a 06/09/27 21:41 NvxX0kHKnS
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[75]a 06/09/27 21:45 NvxX0kHKnS
文字化けしてごまんなさい。
[76]a 06/09/27 21:55 NvxX0kHKnS
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[78]a 06/09/27 22:19 NvxX0kHKnS
新々々ためて こんばんは。
春秋戦国時代 おもしろい!
周王朝から、馬の飼育のために領地を与えられた秦が
なぜ、中華を統一するまでになったのか。おもしろいですよね。
それから、スレ主さんには、いたたまれないでしょうが
何かと趙は大量虐殺される。
30万人が穴埋めだって?
そんなことが可能なのか?(崖から落とした?)
兎に角この時代、いろんな思想が華開いた。
そんな中で、古く実用価値のない思想やしきたりを捨て去ったのが
秦 たちまち統一帝国を創り上げた。
惜しむらくは、えい政が長生きしていれば---
と、思うのであります。
[79]siyajkak 06/09/27 23:19 EJADNu7mio
>>aさん

おっしゃるとおりです。アンチ秦といえども穆公の情け深い話とか義に厚い話とか好きだし(晋の恵公の無道にもかかわらず食糧を送ったり、百里ケイの息子孟明視が[シ肴]の戦いで敗れてもゆるして復讐戦のチャンスを与えたりなど...少年誌に載った鄭問の『東周英雄伝』にも逸話がのってましたよね)、白起を用いる一方で、藺相如の「完璧」の使いを無礼とはしなかった昭襄王の憎らしいほどの器の大きさというかおおらかさも好きです。

秦が始皇帝の時に統一帝国をつくれたのは、趙に兵力がなかったこと六国が暗君ぞろいで名将を用いられなかったことが大きな要因としてあると思います。昭襄王の時代に趙が長平の戦いで破れ、たしか伴野朗氏だったかとおもいますが楚が揚子江中流域の夷陵や[黒今]中を奪われ、陳へ遷都したことが楚の致命傷であり実質的な滅亡へとつながったと私も思います。それから趙は廉頗、藺相如、趙奢など個人の資質に頼りすぎていたなあという気がします。だからこそ魅力を感じるのですが...普通の人が三国志に走るところわたしはそういうところで春秋戦国に走ったのだろうと思います。
[80]siyajkak 06/09/28 06:24 Hdd1dv23t/
役に立たないかもしれませんが年号語呂合わせを考えました。

*鄭荘公、なれな(なれな、前707)い桓王打ち破る。
*[糸需]葛(じゅかつ)にてなれな(なれな、前707)い桓王敗北し。

[糸需]葛の戦いは、朝勤できなくなった鄭荘公が、王の権限を冒して710B.C.に宋の荘公の擁立を後見したために、東周の桓王が鄭荘公の卿士職を罷免して親征して行った戦い。天下の主は周王ではなく、覇者たる諸侯であるという暗黙の空気をつくった戦いともいえる。


*知伯死後三(しごさん453)晋成立し。

三晋と呼ばれた趙、魏、韓は、晋陽の戦い以後、晋を三分して事実上の戦国時代へ突入した。

[81]a 06/09/29 21:21 XqSkz5qJOy
ところで、あの完璧の話の中の
和氏の壁は、趙に戻ってからその後
どうなったんでしょうか?


[82]siyajkak 06/09/30 00:17 rxk7XgsdCe
考えてみればほんとですね。楚のベン和が発見して、楚から趙の恵文王に渡って完璧の使い以降はどうなったんでしょうね。趙の王家の宝物として秦に奪い去られたか...
[83]siyajkak 06/10/14 18:38 6VRdLRUXzY
年号語呂合わせです(^^;)。

ホウ涓さん、誤算(前353)の桂陵敗北。
[84]あげ 06/10/22 13:36 E-1abP3
age
[85] 06/10/22 19:20 *uclk6xWJaWE*VOw4DirW04
孫ピンと龐涓の戦いって結局馬陵と桂陵のどちらもあったかなかったかどちらなんでしょうか?孫ピン兵法には片方のみの記述だったのですけど史記では両方なんですよね・・・どちらが信憑性に長けるかと言えばやはり一般的な史記で、やはり2戦あったんでしょうか。どなたか教えてくださーい。
[86]ヤンガス 06/10/23 00:05 uDA85oi1D/
>>85
紀元前353年に桂陵で戦い、紀元前342年か341年に、馬陵で戦っている。
『史記』『竹書紀年』
[87]a 06/10/23 20:32 zdSEzQwYkq
>>86
馬陵では孫ピンが勝ちホウ涓は死んだが、
桂陵ではどちらが勝ったのでしょうか。
また、何か特筆すべき戦術でもあったのでしょうか。
[88]ヤンガス 06/10/23 22:06 uDA85oi1D/
>>87
概略を書くと、次のようなことであったらしい。

魏の恵王が趙を攻め、国都の邯鄲を包囲した。
趙の成侯は斉の威王に救援を求めた。
威王は援軍を出すことにし、田忌を師将に任命し、孫ピンを軍師としてつけた。

田忌はまっすぐに趙都に向かおうとしたが、孫ピンはたしなめて「ほつれた糸を解こうとするときは、力任せに引いて巻き取ろうとしてはなりません。敵の盛んな所は避け、虚を打ち、形を食い違うようにさせ、敵の勢いを避ければ解けるのです。いま魏と趙の攻防では、兵はみな出払っており、大梁(魏の都)には老弱しかいません。素早く大梁に進軍すれば、虚を衝いたことになり、邯鄲を包囲している軍は慌てて大梁を救おうとして引き揚げるでしょう。」と献策した。

田忌はこの策を採用し、軍を西行させた。
それを知った魏軍は、邯鄲の包囲を解き、夜を日についで大梁に向かって急行した。

−−−魏軍は桂陵を通るであろう。
と、予測している孫ピンは、ゆとりのない魏軍をぼく(さんずいに僕)水の北岸で襲い、大敗させた。

宮城谷昌光氏は、このとき、孫ピンはホウ涓を捕らえたが、殺さずに帰国させたのではないか?と想像を述べている。
ただし、『史記』にも『竹書紀年』にもそういう記述は無く、『孫ピン兵法』からの推測だそうです。
参考まで
[89] 06/10/23 22:44 *4BNM4JZ9d20*VOw4DirW04
>>86
『孫ピン兵法』
[90] 06/10/23 22:46 *4BNM4JZ9d20*VOw4DirW04
竹書紀年の記述は知りませんでしたよ。
[91] 06/10/23 22:47 *4BNM4JZ9d20*VOw4DirW04
連スレスマソ)∴どうも
[92]siyajkak 06/10/30 23:03 wnPTpEq0Jm
もうひとつ考えました(^^;)

*燕昭王[楽毅将軍、名将楽毅]、ただキョと即墨のみに業をにやし(ニヤシ、前284)。


*鄭荘公、なれな(なれな、前707)い桓王打ち破る。
*[糸需]葛(じゅかつ)にてなれな(なれな、前707)い桓王敗北し。

*城ボクで無残に(前632)敗れる子玉の楚軍
*ヒツの戦い、晋兵は、行くな、行くな(前597)と船つかみ。
*エン陵で、イナゴ(前575)のように楚軍を襲う晋の兵

*知伯死後三(しごさん453)晋成立し。

*ホウ涓さん、誤算(前353)の桂陵敗北。


[93]水色 06/11/10 16:05 D-oIsR8
高校生の頃に安能務氏の文庫本を手に取った所から歴史というモノに興味を持ちました。
中でも『春秋戦国誌』は何度も読みました。

私は韓非のリアリズムが好きです。白馬論だったり矛盾論だったりね
[94]a 06/11/10 23:49 DV.tTcjMfI
>>93
安能務!
いいですよね。私も大好きです。
中国人という人々をよくとらえている。
独立独歩。
出会い頭のはったり。
今日は負けても明日は勝つ。
帝力何するものぞ。
商オウが「法治の水」を飲ませ
韓非が「法術」を説き
エイ政が新しい時代の扉を開く。
斬新な考えと独特の表現とが読者を捉える。

白馬論。韓非にもっともと言いたい。


[95]siyajkak 06/11/11 02:33 Tj2hufYdmQ
>水色さん、aさんこんばんわ(というかおはようございます?)

安能務さんの『春秋戦国誌』、わたしも何度か読み返しています。
ちょっと「走ってる」かなとも思いましたが、それだけに読みやすい作家さんだなという印象がありました。
[96]ヤンガス 06/11/11 07:03 Lnm2SN7ob2
韓非子も興味深い人物ですが、墨子も非常にユニークな人です。
名前の由来は、刑罰を受けて顔に入れ墨を入れられていたことによるそうです。
一切の差別が無い愛(兼愛)を説いて全国を遊説したと言われていますが、同時にまた築城術のエキスパートでもあったと伝えられています。
[97]水色 06/11/11 10:56 D-oIsR8
そうですねっ!墨子も面白い。
手元に史料が無いので詳しく書けないですが…
敵対国に一人で乗り込んで戦争シミュレーションを何回も行い、ことごとく勝利して最後に今あなたを殺せば…という策も見切っているところなども痛快です。

専守防衛。発明品も多数。兼愛の思想。
…興味深いですよね。
[98]a 06/11/13 21:20 DV.tTcjMfI
>>96
そう言えば、映画「墨攻」が上映されるそうですよ。
詳しくは覚えていないのですが。
[99]ベルタ 06/11/14 20:54 Tj2huQPAkF
>>97,水色さん

公輸盤とのシュミレーション対決のはなしですね。
下記の儒林列伝を訳したサイトの注に墨子の弟子である禽滑リについての注があって『墨子』公輸編の話であるようです。
http://homepage.mac.com/two_yossy/fang-hu_island/03-sibu/01-siki/121-0-text_01.html


墨攻は漫画も酒見さんの小説も読みました。革離が城主の息子梁適の愛人を信賞必罰で斬首したために梁適に射殺されてしまいます。漫画版では梁城守りきって敵将を倒し、水戸黄門よろしく旅をするストーリーでイナゴの大群(飛[虫皇])が出てきたような気がします。


aさんの中国史というか春秋戦国との出会いは、安能さんだったんですね。わたしは、小六でさ・え・ら書房の小中学生向きの『史記』(古くて検索にヒットせず)を読んで以来取り付かれて、陳舜臣さんの『十八史略』と『中国の歴史』を何度か読み返しました。
[100]siyajkak 06/11/14 20:55 Tj2huQPAkF
すみません。名前が残ってしまった...
[101]a 06/11/14 21:47 DV.tTcjMfI
>>99
ベルタさん
春秋戦国との出会いは、まず「三国志」からだったと思います。
そして「三国志」から「項羽と劉邦」へ遡り、
始皇帝にたどり着きその素晴らしさに驚きました。
その始皇帝に法治を吹き込んだ韓非から、
春秋戦国時代の世界に入った、と言えるでしょう。

[102]水色 06/11/16 23:39 D-oIsR8
ベルタさん
有り難うございます。読んできました。…にしても長い注ですねぇ〜携帯で読むのに一苦労でした。あはっ♪
[103]siyajkak 06/12/05 00:45 ZTzMSMvn66
TUTAYAへいったら春秋戦国関係で『孫子』『始皇帝暗殺』などがありました。うわさには聞いてましたが、ハン於期と荊[車可]が幼馴染だとか設定がかなり逝ってます。
[104]a 06/12/05 01:43 O2NkAH.sdK
「始皇帝暗殺」で思い出したのですが、
暗殺に失敗したあの張良。
劉邦が漢を築いてからも韓王室を復興させるでも無く
仙人みたいな生活をしている。(保身のため)
結局、彼の目的は何だったんでしょう。
[105]ヤンガス 06/12/05 18:05 0LKSBmgxse
>>104
本人でなければ、本当のところはわからないだろうが、拙者の見方はこう↓ですな。

張良が推戴した韓王は項羽に殺されてしまったが、張良の働きかけにより、その縁者が劉邦によって叙爵された。
これによって、張良の韓王室に対する儀理は済んだ。
また、それを期に張良は劉邦の客将から家臣へと立場を変えている。
張良の能力を認め、活用してくれた劉邦への忠誠心の方が強くなったのではなかろうか。

保身の為に仙人のような暮らしをしたというが、劉邦という人間の本性を見抜いていた結果でもありましょう。
人を見る目が有ったということだと思いまする。

しかしながら、彼が保身だけの人物だったかと言えば、そうでもなかかったと思いますな。
後に、身を賭して呂后へ肩入れをしておりますからな。
これも、呂后の人物を見抜いていたからこその決断だったでありましょう。

張良という人は、自らの能力を信じ、彼なりに精一杯生きたのではありますまいか。
[106]やっち 06/12/06 19:26 RUOWcQJrSm
 誰が書いたか忘れましたが、張良が劉邦に助力したのは、大体以下の4点からではないでしょうか。

1 秦を討って祖国の仇を報じたい
2 世に平和と安定をもたらしたい
3 自らの才覚を天下を相手に試してみたい
4 劉邦に惚れた!

 劉邦が即位した時点で、この全てがほぼ達成されたと感じたことでしょう。
 人生の目的を果たしたので、後は隠居というか、趣味(仙人になること。)に生きることになったんでしょう。

 ヤンガスさんご指摘のとおり、完全に隠遁したわけではないようですが。
 呂后に肩入れしてますし、後に息子を通じて陳平・周勃に献策しています。
 この辺りは、上記2がまだ完全には達成できていないと考えていたためだと想像しています。
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